9月23、24日と、佐賀県の吉野ヶ里に行ってきました。吉野ヶ里は、皆さまもよくご存知の、弥生時代の日本を代表する遺跡です。
もう30年ほど前ですが、佐賀県が企業を誘致しようと工業団地として造成していたところから、続々と弥生時代の遺跡が出土し、工業団地ならぬ遺跡団地として開発したところです。そして、町名まで変えてしまい、JR九州の駅名まで変更するという熱心さで、一時は来場者が年間100万人を超えていたそうです。今から10年ほど前にブームとなっていました。今でも年60万人を超える来場者という、遺跡では、青森県の縄文時代の三内丸山遺跡に次ぐ多さです。広さからいったら日本一でしょう。私も今回で4回目です。
初めて行ったときは一般ツーリストとして、2度目は考古学関係者として早稲田大学からの紹介をいただき、3度目は考古雑誌『アーキオ』の取材記者として、今回は講演者として、訪問しました。
しかも今回は、佐賀県知事の古川康氏とのトークショーも企画されていまして、吉野ヶ里町の青年部も大はりきりでした。県知事が出席のトークショーなんて、私としましても初めてでした。古川知事はとても気さくな方でしたが、行政の長だけあって、政策はしっかりとしていました。
吉野ヶ里町長江頭正則氏は、県立の博物館建設を要望しておりましたが、知事は、その前にもっと色々やることがあるでしょうとおっしゃっていました。私は、今、60万人もの人が来られているのだから、その人数を増やすための箱ものを増やしたりイベントをするのではなく、町の人のボランティアのガイドシステムとか、ひとつひとつの復原建物に音声ガイドをつけるとか、説明を詳しくするとか、ミニスクールをやるといったサービスをよくし、リピーターや紹介で来る人を増やす方が健全ではないかと申し上げました。
また、人数が増えるということは遺跡が荒れることにつながりますので、ほどほどがいいのです。量を誇る時代は終わり、質を誇る時代なのです。
トークショーで与えられたテーマは「クレオパトラと卑弥呼を語る」というもので、吉野ヶ里の人にエジプト文明と比較することでそのすごさを知っていただこうと思ったのですが、多くの人の動員を考えての題名だったようです。
実は、今回の講演は、近くのみやき町にあります綾部神社の旗上げ神事に参加するという、例の「ダイドードリンコ日本の祭り」シリーズの一環でした。この旗上げ神事はとても珍しいもので、おそらくこの地域にしかないものと思います。毎年7月15日に麻布の旗をご神木のてっぺんに上げ、9月24日に降ろし、その旗の状況から収穫を占うといったもので、最古の天文台といわれているのだそうです。1000年以上も続いている祭りです。
比較的地味な祭りですが、祭りの行事の中に組み入れられている大名行列には、子どもから若者、中年、老人と、年齢の段階がきちんと踏まれており、見物者は、祖母、母、息子、赤ん坊と、また年齢順にいて、観光客は少なかったですが、町の人の一年の楽しみであろうという雰囲気が出ていました。いわゆる、村の鎮守さまといった風情の神社で、宮司さまもとてもいい感じの方でした。というわけで、この2日間は有意義でした。