私は高校での講演会が苦手でした。でした、と過去形で書いたのは、最近ちょっと変わってきたという意味です。どう変わったかと言いますと、高校での講演会もいいなぁという風に変わったのです。
 というのは、高校生が変わったのか私が変わったのかわかりませんが、高校生が私の話を聞いてくれるようになったのです。どうしてそれがわかるかといいますと、壇上から見ていても、おしゃべりをしたり、ふざけ合ったり、寝っころがったり、出たり入ったりがほとんどなくなったのです。
 昔、講演に呼ばれた成人式でひどい目に遭いましたので、成人式ではもう話をしないことにしています。またその際激怒した風に新聞にも書かれましたので、成人式主催者からの講演会のリクエストもきません。確かに若くてエネルギーがはちきれんばかりの時に、ある場所に40分も閉じ込められて聞きたくもない話を聞かされるのは若者にとってはつらいことでしょう。だからこういった催しはやる方もやられる方もつらいわけです。
 それにひきかえ、市民大学とか敬老の日などの講演会は聞きたい人だけが来ますから、静かに一生懸命聞いてくださるわけです。また、カルチャーセンターはお金を払って来て下さるわけですから、余計真剣味が違います。もちろんカルチャーセンターに来ている人にも問題はなくないのです。というのはお金を払っているだけに権利が発生すると勘違いする人がいて、ああだこうだと言う人がいます。質問はいいですが、個人の意見やひとりよがりな考え方をぶつけられても困るわけです。しかもカルチャーセンターでの講師料は他に比べると一番安い、というか、ないに等しいわけです。ですから今はカルチャーセンターでもほとんど話をしません。
 今まで高校生相手で何が一番つらかったかと言うと、私の話をまったく無視している様子の生徒が少なくなかったということです。高校生相手の講演のテーマはおおむね「夢の実現」についてです。私の体験を中心に、どうやって夢を持ち、どうはぐくみ、どう実現し、次にどう展開するかといったことをスライドなども交えて話します。自分の体験をベースに話しますので、具体的でかつ観念論や説教風ではないので聞きやすいだろうと自分では思っているのですが、反応がいまいちなのです。それはそれでいいとして、高校生の行儀の悪さには閉口していました。また、高校での講演はほとんどが体育館でやりますので、声の響きというか反響がつらいこともあります。
 しかしここのところ、3校続けて講演しましたが、皆良い感じなのです。高校生相手ではギャグや駄洒落はご法度です。淡々と話していくしかないのです。しかも体育館でギャグは白けます。小さな空間、テレビモニターではつまらないギャグもいけますが、大きなそして実体感のある空間では、ひたすらまじめにいかないと生徒と自分の距離がとてつもなく広がってしまいます。それが、この3つの高校ではなかった、すなわち距離感が感じられなかったのです。私はそれにとまどいというか不思議にさえ感じるのです。
 最近の高校生が変わってきたというのでしたらとてもよいことですが、たまたま私の訪れた高校の先生方の指導力によるものでしたら、全国的に広めてもらいたいと思うのです。高校生が今後の日本再生のもとだからです。

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吉村作治のエジプトピアを運営する株式会社アケトのスタッフです。