現在は突然として巨像だけが残されているが、もともとは新王国時代第18王朝のファラオ、アメンヘテプ3世が、自らの葬祭殿の入り口前に立てたものである。台座の高さ2.3m、座像の高さ15.6m。珪岩製で、創建当時は王冠も載せており、全体の高さは22mにもおよんだ。
しかし、第19王朝のメルエンプタハ王が自分の葬祭殿を造るために石材を運び出してしまったため、偉容を誇った葬祭殿は今は跡形もない。
紀元前27年の大地震の際に、向かって右側の像にひびが入り、夜明けに音を発するようになったが、199年の修復後は止んでいる。