テル・アル=アマルナは、古代名をアケト・アテン(アテンの地平線)といい、新王国時代第18王朝のアクエンアテン王(アメンヘテプ4世)の時代に都が置かれた地である。
アクエンアテン王は、それまでのアメン神を中心とする多神教を廃止し、アテン神を唯一の神とする一神教を採用、宗教改革を断行した。これは、エジプト王家に対して大きな勢力を築き上げたアメン神官団と、たもとを分かつためであったと考えられている。改革があまりに急進的に過ぎたため、結果的には従来の勢力や国民の反発をあおっただけで、王の治世はわずか10年ほどで幕を閉じることとなった。
しかし一方この時代、全く新しい芸術表現「アマルナ様式」が誕生、花開いた。型にはまらないのびやかな表現は、絵画や彫像などで数々の名作を生んだ。