1.土地を耕す
牛に引かせる犁(すき)は、すでに古王国時代から取り入れられていたが、初期の頃は、柄の先に2本の棒を取り付けた簡単な木製のものであった。しかし新王国時代になると、金属の刃が取り付けられ、柄も数本の横木でしっかり固定するという改良が加えられていった。
犁を扱う者は、まず片手に持ったムチでウシを歩かせる。ウシが進み始めると、今度は両手で犁の柄を握り、体を2つに折るようにして全体重を犁にかける。こうして犁は地面にくい込み、土地が耕されていくのである。
2.種を蒔く
先王朝時代から、エジプトの農民たちは、地面を掘り返すのに、フォークのような形をした木製の棒や、先に薄い金属がついた木製の鍬(くわ)を使っていた。ナイルの氾濫によって柔らかくなった地面を掘り返すのには、そのような道具で十分であり、農民たちがそれ以上の農工具の必要をさして感じなかったためであろう。
種を蒔く人は、柄の付いた袋の中に種もみを入れ、それを歩きながらばらまいていく。その後別の農民が、種もみの上に土をかぶせていくのである。
3.麦の収穫
収穫の季節「シェムウ」になると、農民たちは夜明けとともに畑に出て、日が暮れるまで働いた。
刈り入れに使う鎌は、先王朝時代には、いくつかの刃をうめこんだ真っ直ぐな短い形のものであったが、古王国時代になると三日月形になり、中王国時代には、さらに湾曲した形になっていった。
穀物の穂は現在よりはるかに短く、穂先だけを鎌で刈り取って、畑に残った部分は細工物の材料にした。刈り取られた穂は、いったん畑の一隅に積み上げられ、網やカゴによって脱穀場まで運ばれた。
4.ムギの脱穀
千歯扱きのような道具に、穀粒をひっかけて脱穀している。次々と脱穀された穀粒が、山のようになっている。
このように人力で脱穀する場合と、ウシを使って脱穀する場合があった。
後者は、固く踏みならされた脱穀場に穀物の穂をばらまき、牡ウシをそこに追い込み歩かせた。細長い木の枝をムチにしてウシを追う男と、ウシが穂を踏みつけている間中、熊手のような道具で穂が散らばらないようにかき集める男たちがいた。ウシが脱穀場から引き出されたとき、そこはもみがらや実、藁の山になっているのである。
5.ムギの選別
男たちが、脱穀したムギ粒を平たい容器ですくい上げ、殻と一緒に空中に放り上げている。軽いもみがらを飛ばすために弱い風を起こして、ムギ粒だけを床に落としている。
また、男たちは、飛ばしたもみがらが髪の毛にからまないようにか、髪の毛が落ちてムギ粒に混ざらないようにか、白い亜麻布をかぶっている。